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神戸地方裁判所 昭和52年(ヨ)523号 判決 1979年9月21日

債権者 岸川久

<ほか七名>

右債権者ら訴訟代理人弁護士 羽紫修

同 持田穣

同 佐伯雄三

債務者 中本商事株式会社

右代表者代表取締役 中本春一

右訴訟代理人弁護士 原田昭

同 栗坂諭

同 芦苅伸幸

同 吉川武英

主文

一  債権者らが債務者に対して雇用契約上の地位を有することを仮に定める。

二  債務者は債権者らに対し、別紙賃金認容期間表記載の各期間につき、毎月二八日かぎり、一か月当りそれぞれ別紙債権者表平均賃金欄記載の金員を仮に支払え。

三  債権者らのその余の申請を却下する。

四  申請費用は債務者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  債権者らが債務者に対して雇用契約上の地位を有することを仮に定める。

2  債務者は債権者らに対し、昭和五一年五月二一日以降本案判決確定に至るまで毎月二八日かぎり、一か月当り別紙債権者表平均賃金欄記載の金員を仮に支払え。

3  申請費用は債務者の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

1  債権者らの申請を却下する。

2  申請費用は債権者らの負担とする。

第二当事者の主張《省略》

理由

第一  《証拠省略》によれば、申請理由1の事実が疎明される(債権者らが源平運送と雇用契約を締結していたことは当事者間に争いがない)。

第二  債権者らは、源平運送は実質的に債務者会社の一運送部門にすぎず、債権者らの源平運送との各雇用契約の締結は実質的に債務者会社との雇用契約の締結ともいうべきであるかもしくは法人格否認の法理により源平運送は独立の法人格を否認される形式会社というべきであるから、債務者会社は債権者らに対して使用者としての責任を負い、債権者らは債務者会社に対して従業員としての権利を有する旨主張するので、まず、源平運送と債務者会社の実態ならびに両社の関係について検討することとする。

一  債務者会社の沿革等

1  債務者会社は、昭和二年神戸市で創業した中本商店を母体として昭和二二年七月設立された黄麻袋の加工販売を主たる目的とする資本金一億円の株式会社であり、本店を神戸市葺合区吾妻通三丁目一番八号所在のナカモトビル内に置いていることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、中本商店は薫男、仲一、春一の三兄弟が創立したものであり、昭和五二年度における債務者会社の売上高は一二〇億円、昭和五三年三月現在の従業員は約一〇〇名であること、また、《証拠省略》によれば、右ナカモトビルは債務者会社が昭和四八年新築したものであり、それに伴って本店を同ビル内に置いたが、それ以前は本店を神戸市葺合区北本町通三丁目五番地の一に置いていたことが各疎明される。

2  債務者会社は薫男を総帥とする中本一族の経営する会社であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、昭和五一年四月当時の債務者会社の役員は、代表取締役に春一、仲一の両名、取締役に右両名、薫男、大三郎、新太郎、高橋輝代、岩井成夫ほか五名が、監査役に中本勝彦がそれぞれ就いており(なお、現在は、代表取締役は春一、取締役は新太郎が退任して細見政雄が就任したほかは昭和五一年四月当時と同じ)、薫男は仲一、春一ら兄弟の長兄で、中本グループ各社の従業員から大社長と呼ばれており、仲一はその次弟、春一はその末弟であり、大三郎は春一の長男、新太郎は仲一の二男、高橋輝代は薫男の長女であることが疎明される。

二  中本グループ

1  債務者会社は、傘下に日本製麻株式会社(以下、日本製麻という。他の会社についても同様に略称する。)、極東倉庫株式会社、源平建設株式会社、源平石油株式会社、三広株式会社、母里園芸株式会社、源平運送等の会社を収め、これら各会社を一括して中本グループと称していることは、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、債務者会社は、昭和三二年日本製麻(旧名中越紡績株式会社)の株式の六五パーセントを中本一族の者が取得して同社を傘下に収め、黄麻紡績業に進出、紡績加工一貫企業体制を確立し、次いで昭和四四年頃から海外にも進出するとともに、経営の多角化を図ってその余の前記各会社を傘下に収め子会社として中本グループを形成してきたものであり、債務者会社はその頂点に立つ会社であることが疎明される。

2  《証拠省略》によれば、源平石油、源平建設、極東倉庫、三広の各会社の役員はいずれもその全員もしくは大部分を中本一族またはその関係者で占め、薫男、仲一、春一の三兄弟はいずれも右各社の取締役を兼ねているが、右各社の実際の経営に当っていた者は、源平石油および母里園芸においては薫男、源平建設においては仲一、極東倉庫においては仲一とその長男一夫、三広においては輝代であったこと、もっとも、源平石油、源平建設、母里園芸の三社は現在営業活動を行っていないことが疎明される。

3  右極東倉庫は、後記のとおり源平運送の株主となっていたが、《証拠省略》によれば、極東倉庫は、昭和二五年二月一四日に中本グループの一環として設立されたもので、その営業内容は、右グループの営業と関連する梱包業及び倉庫業等であり、昭和五三年三月三一日現在、その資本金は金一、〇〇〇万円となっており、その役員としては、前記のように仲一が代表取締役、一夫、薫男、春一、大三郎、高橋良輔、同輝代がそれぞれ取締役、岩井成夫が監査役であったことが疎明される。

4  また、前記三広も後記のとおり源平運送の株主となっていたが、《証拠省略》によれば、昭和三一年五月、中本グループの不動産の管理、保険代理業務を目的として中本不動産合資会社が設立されたが、関係各会社の所有不動産の増大に伴い、昭和四三年三月新たに三広が設立され、同社に右中本不動産が合併され、三広が、以後その業務を引継いでいるものであり、その役員については、昭和四八年当時、薫男が代表取締役、昭和五二年三月当時、輝代が代表取締役、薫男、仲一、春一、大三郎、一夫らが取締役、勝彦が監査役であったが、右一夫は翌五三年二月に辞任していることが疎明される。

三  源平運送と債務者会社の関係

(源平運送の発足から昭和五一年四月(分会結成)まで)

1  《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が疎明される。

(一) 源平運送の発足等

(1) 源平運送は、昭和三五年一一月一日大久保運送株式会社として設立(資本金二〇〇万円)され、陸上貨物運送業を目的とし、本店を明石市に置き、主として加古川市方面で営業をしていたが、債務者会社の経営の多角化に伴い、中本グループ各社の運送部門の担当を目的として、昭和四〇年仲一、新太郎父子により全株式(仲一、新太郎各五〇パーセント宛)を買収され、同年九月商号を源平運送に変更するとともに(右株式買収及び商号変更の事実は当事者間に争いがない)、本店を当時の債務者会社の本店所在場所神戸市葺合区北本町通三丁目五番地の一に移転した(なお、本店はその後、昭和四八年前記ナカモトビルの完成に伴い同ビル内に再び移転した)。

(2) 源平運送は、仲一らによる右買収当初は所有車両(トラック)五台位の小規模なものであったが、昭和四三年頃から債務者会社をはじめとする中本グループ各社(殊に日本製麻)の取引量の増加に伴ってその輸送手段拡充の必要性が高まり、また、昭和四六年頃からは海上輸送のコンテナー化に対応し、債務者会社の資金援助のもとに規模を拡大していった。そして、昭和五一年四月当時、資本金八〇〇万円(昭和四三年五月増資)、従業員一八名(運転手一六名、事務員一名、配車係一名)、所有車両四六台(普通トラック一六台、コンテナー運搬用シャーシ二四台、トレーラーヘッド六台)を擁していた。

(二) 株式保有関係

源平運送の株式は、前記のとおりその発足当初仲一、新太郎父子名義で各五〇パーセント宛保有されていたが、増資をした昭和四三年頃からは債務者会社と極東倉庫が各三〇パーセント、三広が四〇パーセント保有していた。

(三) 役員構成

源平運送の役員は、その発足と同時に新太郎、浅見久夫の両名が代表取締役に就任し、次いで昭和四二年までに春一が取締役に、岩井成夫が監査役にそれぞれ就任した。右浅見は、昭和運送株式会社の社長で、前記仲一、新太郎両名の源平運送買収のあっ旋者であり、右岩井は、昭和二四年から債務者会社に勤務していたが、その後日本製麻に役員として派遣され、右監査役就任当時は同社の専務取締役をしていたものである。そして、昭和四四年からは、右新太郎、浅見、春一、岩井の四名に、仲一(代表取締役)、大三郎、高橋良輔、大寺友三郎(以上取締役)の四名が加わり、役員は合計八名となったが、右高橋は債務者会社の取締役で、輝代の夫であり、大寺は日本製麻の常務取締役であったので、源平運送の役員は全員中本一族およびその関係者によって占められることとなった。その後、源平運送において労務管理を担当していた前田義彦が昭和四七年八月一日から昭和四八年九月二〇日まで、債務者会社の取締役であった藤井利雄が同年九月一〇日からそれぞれ取締役として就任し、前記大寺が昭和四八年退任し、浅見が昭和五〇年三月一四日死亡する等して異動があり、昭和五一年四月当時、代表取締役に仲一、新太郎父子、取締役に仲一、新太郎、春一、大三郎、一夫、高橋良輔、監査役に岩井成夫が就き、中本一族およびその関係者によって役員を占め、内仲一、春一の二名は債務者会社の代表取締役を、大三郎、岩井成夫の二名は同取締役をそれぞれ兼ねていた。もっとも、源平運送の実際の経営の衝に当っていたのは、新太郎と前田義彦で、同人退任後は新太郎と藤井利雄とであった。

(四) 人事、労務上の関係

(1) 源平運送においては株主総会も取締役会も開催されたことがなく、その役員人事は薫男を筆頭とする債務者会社の幹部で構成される会議において決定されていた。例えば、前記前田義彦は、源平運送の配車関係事務および労務管理を担当していた社員であったが、ナカモトビルの会議室において、薫男、春一、ほかの債務者会社の幹部が列席する会議の席に呼ばれ、同会議体の意思として薫男より源平運送の取締役就任を求められて就任している。

(2) 源平運送の従業員の採用は、新太郎または同社の常務取締役から債務者会社の労務課長に採用要請がなされ、これに基づいて債務者会社は源平運送社員の募集広告を新聞に掲載し、その応募者につき、新太郎と藤井常務取締役が面接して採用したこともあったが、多くは新太郎立会のもとに債務者会社取締役社長の春一が面接し、採用が決定されていた。

(3) 源平運送の従業員の昇給は、債務者会社において毎年一回行われる昇給が決定された後、新太郎が債務者会社副社長の春一に対して債務者会社の昇給率と同率の昇給を源平運送従業員について実施することの許可を求める旨の債務者会社宛「禀議書」を提出し、決裁を受けるという方法で行われていた。

(4) 薫男は、源平運送の役員でもないのに、昭和五〇年夏頃、源平運送従業員が運送中に積荷を雨で濡したのを目撃するや、労務管理の不手際として源平運送常務取締役藤井利雄を怒鳴りつけたことがあった。

(5) 債務者会社は、同社の所有する社宅を源平運送従業員のため同社に貸与していたが、右社宅の入居者については、春一が直接入居希望者と面接して入居の許否を決定していた。

(五) 財政、経理上の関係

(1) 源平運送における車両の購入その他相当額の資金を必要とする事項については源平運送に決定権限はなく、右許否は、新太郎において右処理事項の必要性等を記載した「禀議書」を債務者会社に提出し、これに基づきその審議のために招集される前記債務者会社の幹部会議において、あるいは右会議はほぼ定期的に開かれているので時期的に合えばその会議において、源平運送の実務担当者たる新太郎や常務取締役らより事情聴取がなされたうえ決定されていた(なお、源平運送従業員の昇給およびその率については、前記のとおり「禀議書」のみに基づいて許否が決定されていた)。

(2) また、源平運送は、昭和四五年頃からその営業資金の面でも債務者会社から多大の援助を受けていたもので、源平運送から依頼のあった場合、債務者会社はその信用を利用して金融機関から融資を受けて、これを源平運送に貸付けるなどの方法により融資していたが、その返済は源平運送で剰余金が生じた時になされており、その返済条件について明確な約定がなされていたことの疎明はない。そして、源平運送の昭和五二年六月三〇日現在における債務者会社からの借入金の額は金一、三〇〇万円余となっており、昭和五一年四月当時においても、源平運送は債務者会社の資金援助がなければ、その経営維持が困難な状況にあった。

(3) 源平運送にはその発足当初から経理担当の事務員はおらず、同社の経理事務は全て債務者会社の経理課において処理され、関係書類、帳簿類は同課に保管されていた。したがって、源平運送の取引先に対する運送賃等の請求、集金業務は全て同課が行い、また、源平運送の役員や従業員に対する報酬、給与等の支給事務、その際の前記債務者会社所有社宅入居者からの賃料徴収事務等も、債務者会社用の給与明細書を使用して、債務者会社が行っていた。

(4) 債権者舟田博は、源平運送の業務に従事中同社の従業員の運転する車両に追突され、負傷した際、当時の同社の常務取締役藤井に対してその補償を要求したところ、同人は自分の権限外のことだから債務者会社の労務課長志方と交渉するように言うので、同人に右補償要求したところ、同人から労災保険給付があるまでの間債務者会社において立替え払いをする旨の返答がなされ、これに従い債務者会社から右債権者に立替え払いがなされた。

(5) 源平運送の唯一の物的施設である営業所は、神戸市灘区味泥町七番一六号にあったが(以下、味泥営業所という。)、その敷地は三広の所有にかかり、債務者会社の紙袋工場および同工場事務所と同じ構内の西北部にあり、出入口も共通であった。また、右敷地賃借料は一か月一坪当り五〇〇円で、世間相場(七〇〇円前後)よりかなり低額であった。

(6) また、源平運送の従業員が、車輛運送業務に従事中、道路通行料金等を立替えて支払った場合、右金員については直接債務者会社に仮払いの請求をして、その支払を受ける方法が採られていた。

(六) 業務運営上の関係

(1) 源平運送は、その発足当初、大久保運送時代に引続いて加古川市方面における鐘化、近江絹糸等の貨物運送が主であったが、昭和四三年頃から次第に債務者会社をはじめとする中本グループ各社の貨物運送が主となり、中本グループの運送部門を担当するようになった。そして、昭和四九年には新たにコンテナー輸送部門(トレーラー部門)に乗り出し、通関業兼倉庫業者のニッケル・アンド・ライオンズ社(以下、ニッケル社という。)を唯一の顧客として営業を開始した。昭和五一年四月当時の営業内容は、トラック運送部門は約四〇パーセントで、そのほとんどが中本グループ各社、なかでも日本製麻と債務者会社からの委託によるものであり、コンテナー部門は約六〇パーセントで、全てニッケル社からの委託によるものであり、同社は、顧客である債務者会社からの仕事の見返りとして源平運送に対して右委託をしていたものであった。このように、源平運送の営業は、債務者会社に大きく依存していた。しかも、右中本グループ各社からの委託に基づく運送賃は定額運賃の九〇パーセント以内という低額なものであった。

(2) 前記債務者会社の幹部で構成される会議は定期的に開催され、源平運送の日常業務、営業状態等について新太郎や常務取締役前田義彦らに報告を求めていた。

(3) 源平運送の従業員の各種保険手続業務は債務者会社において労務課長志方の所管のもとに行われていた。

(4) 源平運送の常務取締役や従業員は、債務者会社を源平運送の「本社」と呼び、また、債務者会社取締役会長の薫男を「大社長」、同代表取締役春一を「社長」または「副社長」と呼んでいた。

以上の事実が疎明され(る。)《証拠判断省略》

2  以上の疎明事実に基づき、分会結成前における債務者会社と源平運送の関係について考えてみる。

(一) 源平運送は、債務者会社を頂点とする中本グループ各社の運送部門を担当することを目的として発足し、その目的に沿って経営されてきたこと、源平運送の株式は、その発足当初は仲一、新太郎父子が各五〇パーセント宛保有していたが、昭和四三年頃からは債務者会社、三広、極東倉庫の三社が保有しており、債務者会社の保有割合は三〇パーセントにすぎなかったが、三広および極東倉庫はそれぞれ中本グループの不動産管理部門および倉庫部門等の担当を目的として発足し、その役員は全員中本一族(三広の場合)あるいは中本一族とその関係者(極東倉庫の場合)で占め、そのいずれにも中本グループの総帥であり債務者会社の取締役の地位にあった薫男が取締役として名を連ね、しかも三広においては同人の長女で債務者会社の取締役の輝代が極東倉庫においては薫男の弟で債務者会社の代表取締役の仲一がそれぞれ代表取締役として実際の経営の衝に当るというように、債務者会社の経営陣と三広および極東倉庫の経営陣は身分的関係においても役員の兼任関係においても緊密な関係にあったこと、源平運送の役員は、中本一族または債務者会社をはじめとする中本グループ各社の役員や従業員の中から債務者会社の意思により選任されていたこと、源平運送は債務者会社をはじめとする中本グループの拡充に伴う需要の増大に即応して企業規模を拡大し、債務者会社は必要に応じてその資金援助を行っていたものであり、源平運送は資金面で全面的に債務者会社に依存していたこと、また、源平運送の株主総会も取締役会も開催されたことはなく、源平運送の経理全般は債務者会社が掌理し、車両の購入等相当額の出費を要する事項の処理について債務者会社の決裁を必要としていたほか、源平運送の日常業務のほぼ全般にわたって債務者会社が指示、監督していたこと、源平運送の従業員の昇給は、債務者会社の従業員の昇給決定後にその昇給の可否、昇給率等について債務者会社の決裁に基づいて行われていたこと、源平運送の中本グループ各社からの委託による運送賃は定額より低廉なものであったこと、その他前記認定の諸事実を総合考慮すれば、債務者会社と源平運送との関係は、債務者会社が中本グループの中核的立場から、同グループ全体について設定した経営政策に基づき、源平運送を、債務者会社を頂点とする中本グループの運送部門として、その役員、従業員の人事、給与等の労務対策、財政経理、営業政策等企業活動全般にわたって現実的統一的に管理支配していた親会社と子会社の関係にあり、両社はその企業活動そのものが社会的にみて単一体と評価しうる実質を有するものと認めるのが相当である。

(二) しかし、債務者会社の源平運送株式保有率は昭和四三年頃からわずか三〇パーセントにすぎず、前記債務者会社の源平運送に対する管理支配は主として他の株主たる三広および極東倉庫と債務者会社の各経営者、役員の身分(同族)関係あるいは兼任関係等を通しての間接的なものであったこと、債務者会社と源平運送との間には財産の混同があったことの疎明がないこと(なお、債務者会社は源平運送の経理を掌理してはいたが、その場合でも源平運送の経理を債務者会社のそれと区別し、源平運送の収支計算がそれ自体として別個独立に掌理されているかぎりにおいては財産の混同というべきではないところ、右源平運送の収支計算が債務者会社のそれと別個独立になされていなかったことの疎明はない。)等の点に照らせば、債務者会社と源平運送の間に前記のように社会的にみて単一体としての実質が存することを考慮してもなお、両社が経済的に一個の単一体を構成しているとまでは未だ認めることができない(なお、前記認定の債務者会社の源平運送に対する管理支配の態様からすれば、仲一や新太郎だけでなく三広および極東倉庫も単に名義上の株主であって、実質は源平運送の発足以来その株式は全部債務者会社の保有ではなかったかとの疑いが全くないではないが、未だ前記認定を左右するに足る疎明資料はない)。

(分会結成から債権者ら解雇まで)

1  《証拠省略》によれば、以下の事実が疎明される。

(一) 分会の結成

源平運送の従業員のうち債権者らを含むトラック運転者中九名は昭和五一年五月一日分会を結成し、当日の正午過ぎ常務取締役の藤井に対し右結成通告をするとともに一六項目の要求書を提出し、分会結成大会開催のため直ちに半日ストに入ったが、右大会を終えた午後三時半頃ストを解除して直ちにその旨を右藤井に通告し、分会員らは午後五時退社した。

(二) 営業所閉鎖と廃業通知

(1) 右分会結成ならびにスト通告を受けた藤井は、直ちに本社に行くと言って味泥営業所を出て行き、右スト中の午後二時頃高橋良輔、債務者会社労務課長志方の両名を伴って味泥営業所に戻った。そこで、債権者舟田ら分会執行委員は全自運神戸支部書記長今村信義とともに右藤井ら三名に対し、前記要求事項につき同月四日団体交渉を行うよう求めたところ、右高橋は、「中本には特異な体質があり、力には力で対抗するが、話合いには話合いで応ずる」と述べ、団体交渉の時期を同月八日前後にしてほしい、具体的な日時については同月四日に返事する旨答え、会談はスト中の午後三時頃終った。しかし、右事情について報告を受けた仲一は、全自運相手では到底経営を続けることはできないと考え、同日夜、非分会員の乗務する車両だけを道路公団から賃借していた近くの駐車場に移し、分会員の乗務する車両を残して右営業所の南側に高さ二メートルの障壁を設けて出入りできないようにした。そして、翌二日(日曜日)午前、全従業員に対し、「当分の間休業する、休業中は有給とする。追って通知するまで出社に及ばない」旨の葉書を速達便で発送し、次いで同日午後また全従業員に対し「休業通知を取消す。営業不振のため廃業する。五月一〇日退職金を支給する」旨の葉書を速達便で発送した。さらに、源平運送は、同月六日全従業員に対し、書面をもって、開業以来の赤字と経営担当者の業務遂行に対する自信喪失により廃業のやむなきに至ったことを、本店を神戸市灘区味泥町七にした旨追記して通知した(もっとも、登記上は、同月一五日、本店を同年四月三〇日付で同町二丁目六番地先に移転した旨登記されている)。

(2) ここで、右分会結成当時の源平運送の営業状態をみると、同社は、昭和四六年頃、海上輸送のコンテナー化に対応してコンテナー車を購入したが、昭和四七及び四八年度には、同車の稼働率が低かったうえに、運転手不足と人件費の高騰という事情も加わって、右購入車輛の償却費を考慮すると、同社はかなりの欠損を生じた。しかし、昭和四九年度には、コンテナーが本格的に利用され出したのと運賃が改定された事情等もあって、源平運送の業績は幾分好転した。その後、昭和五〇年六月頃、源平運送が海上コンテナー運送の委託を受けていたニッケル社が、関連会社の倒産の影響から右委託量を減少したこと及び同年一〇月頃従前のトラック運送の主たる委託先であった日本製麻が、その黄麻袋の国内生産を中止し、その加古川工場を閉鎖したことから、中本グループの貨物運送の需要が減退し、再び源平運送の業績は悪化し、その頃、源平運送の譲渡あるいは他社への吸収合併が検討されたこともあった。

しかし、源平運送は、前記の分会結成当時まで従前と同様の営業を続けていたものであり、若干の累積赤字はあったが、債務者会社の継続的な資金援助もあり、右時点で廃業を不可避とする様な事態には至っていなかった。

(三) 経営者の交替

(1) この間、源平運送では、仲一宅で新太郎も加え、全自運の組合がある新光運輸株式会社社長渡辺光一その他の同業者から全自運のことなどを聞きつつ善後策を協議した結果、廃業は無理と判断し、会社の売却と併せて整理を行う方針を立て、右渡辺に経営を引受けてもらう方向で交渉を進め、同月一〇日頃、右渡辺と藤井から、両名において源平運送の全株式を引受けその経営をすることの承諾を得たので、同日夜新太郎は全従業員に対し、その旨葉書で通知するとともに、前記休業および廃業に関する通知をすべて取消した。

(2) 源平運送の役員については、先に新太郎につき、四月二八日付で取締役および代表取締役を辞任した旨、五月四日登記されていたが、同月二日付で、取締役は仲一、春一、大三郎、一夫の四名が退任して藤井利雄、岩井成夫(当時債務者会社取締役)、高橋良輔の三名が就任(高橋は重任)し、監査役は右岩井が退任して山下勇祐が就任し、代表取締役は仲一が退任して右藤井が就任した旨、同月一三日登記がなされた。

(3) ところが、渡辺は、分会員や前記今村らから源平運送に残業手当の未払いがあることを告げられ、しかも分会が源平運送の中本グループからの離脱に強く反対していることを知り、源平運送の引受けを断念し、同人に対する同社売渡しの件は破談となった。そこで、新太郎らは、不動産業を営む知人の大村晋三に源平運送引受けの交渉をし、新太郎において当分実務を担当することで右大村から右引受けの承諾を得たので、五月一五日同人の取締役就任を、次いで同月一九日、大村運送株式会社への商号の変更と同人の同月一七日付代表取締役就任をそれぞれ登記した。そして、大村、藤井両名と分会との間で団体交渉が開始された。

(4) 分会は、分会結成通告後における源平運送の一連の動向は分会破壊工作であるとして把え、これに対する抗議のため五月一二日源平運送から葉書でなされた就労要請に対しても応じず、大村が貨物運送業の経験のない人物であるところから、同人が経営を引受けることについても不信感を抱いていたが、同月一七日から一〇数回にわたって同人らと団体交渉を行い(なお、この団体交渉には、新太郎や高橋良輔も何回か加わった)、同月一八日前記要求項目のうち組合事務所の使用、通勤費の支払い、出張後の帰宅休養、残業手当等につき合意をみ、さらに、五月一日から同月一〇日までの賃金は旧経営者において、同月一一日以降の賃金は大村において責任をもって支払うとの約束を得、同人から交渉は業務を運営しつつ引続き行うこととし、出社して就労するよう要請を受け、右賃金額について妥結するならばその他は譲歩してもよいと考えていたので、右要請に応じ、翌一九日から就労することとした。

(四) 債務者会社の運送委託拒否

そこで、大村、新太郎、藤井らは注文を取りに回り、その結果普通貨物は新光運輸や一部下請会社から、トレーラー関係はニッケル社から注文を受けることができたが、債務者会社は争議中だからという理由で源平運送に発注せず、他の会社に運送を請負わせ、また、新光運輸等の普通貨物運送も同月二一日頃には打ち切られてしまった。

(五) 本店、営業所の移転

(1) 源平運送は、同月二五日摩耶埠頭の摩耶業務センタービル内に新営業所を賃借し、翌二六日分会に対し、味泥営業所は地主の三広から明渡しを求められているので新営業所に移転する旨通告した。右新営業所は味泥営業所から徒歩で一〇分以内の距離にあったが、分会は、移転先には通勤車の駐車場がなく、通勤に不便であること、車庫の移転は認可手続の関係上簡単にできないから、車両を引続き味泥の駐車場に置くとすれば、従来の営業所に待機している方が就労に便利であること等を理由として、右営業所の移転に反対した。

(2) しかし、源平運送は、同月二七日夜営業所の移転を強行すべく新太郎、藤井らが書類等の搬出を始めていたところ、午後八時頃分会員がこれを目撃し、味泥営業所において、藤井を午後九時頃から同一二時近くまで取り囲み、同人の耳の傍で大声を発し、あるいは机を叩く等し、同人は容易に脱け出せない状態のなかで、結局、源平運送の代表取締役として、分会との間で、事務所、車庫等の移転、従業員の勤務場所の変更等については分会の同意を得て行う、分会は移転については協力する旨の、ほぼ分会の提案どおりの内容の覚書を調印、交換して解放された。

(3) しかし、仲一、新太郎および藤井らは、右覚書は強要されたものであるから無視してもよいと判断し、分会に知らせないまま、同年六月初め前記営業所の移転を強行し、同月一五日神戸市灘区摩耶埠頭株式会社摩耶業務センタービル内二〇六号への本店移転の登記をした。

(4) その間の同年五月二八日、新太郎、藤井の両名が味泥営業所に持参した従業員の五月分(四月二一日から五月二〇日まで)の給料が、実就労日数を基準に算出されたものであったため、分会員、非分会員とも不就労は会社側の事情によるものであったとして右新太郎らを取り囲み、激しく抗議するとともに平均賃金の支払を求めた。そして、右分会員を含む従業員は、藤井らに対し、無理に机の傍に立たせて体を押したり、バケツを叩いたり、平均賃金の算出方法がわからぬといえば、「電話をかけて聞け」といって受話器を耳に押しつけるなどし、この間の紛争により新太郎は加療一〇日間を要する左前膊等の打撲傷を受けた。結局、藤井が源平運送の代表取締役として、分会との間に、五月分の賃金として平均賃金一か月分を六月二日に支払う旨およびその計算方法を定めた確認書を調印、交換することにより、午後一〇時頃終了した。

(5) 源平運送は、前記営業所移転を強行した六月初頃、ニッケル社からのコンテナーの仕事も打ち切られ、以後全く仕事がなくなった。

(六) 新太郎の復帰

(1) 六月七日、同月二日付で取締役岩井成夫、高橋良輔、監査役山下勇祐が辞任し、新たに取締役に岡十一、監査役に内田恒子が就任した旨の登記がなされた。

(2) しかし、大村と分会との間の団体交渉は進展せず、同月二〇日頃分会は新太郎や高橋良輔らとの交渉を求め、そのために右両名の復帰を要求するに至ったので、大村は退陣の決意をし、新太郎が大村から株式全部を買戻し、新太郎、高橋の両名が経営の衝に当ることになり、同月二一日付で大村が代表取締役および取締役、藤井が代表取締役を辞任して新太郎が取締役兼代表取締役に就任し(登記の日は六月二六日)、同月二五日付で藤井が取締役を辞任して、高橋良輔が取締役に就任した(登記の日は七月六日)。

(七) 無期限ストライキへ

(1) 分会は、前記源平運送の休業ないし廃業の通告、債務者会社の発注拒否、分会員らに仕事を与えないこと、五月分の給与を平均賃金の三分の一しか支払わなかったこと、営業所の強行移転等一連の行為は、債務者会社と源平運送が相謀って同社の解散を偽装し、分会の組織破壊を企図する策動であるとして、六月一一日、右両社を相手に、兵庫県地方労働委員会に対して不当労働行為救済の申立をした。

(2) そして、分会員らは、前記営業所の強行移転後も新太郎らからの新営業所への出勤要求に応じず、依然として旧営業所に出勤していたが、同月末頃から再三にわたり新営業所への出勤待機を指示され、また、七月初頃には、味泥営業所のタイムレコーダーを引き上げられたため、同月五日からは毎朝午前八時に摩耶業務センタービルに出勤するようにしたものの、最初の二、三日は施錠されていて入ることができず、七月五日以後も全く仕事がないので、タイムレコーダーを打ち、大体午前九時頃まで待機した後、仕事があったときは電話連絡してもらうよう事務員にことづてし、旧味泥営業所に引揚げていた。

(3) 源平運送は、七月六日従業員に対し、「同月五日新太郎、高橋良輔の両名がニッケル社首脳に仕事の発注を頼んだが、その回答は、全自運から源平運送には仕事を出さないようにとの依頼があったこと、いつ争議行為が発生するかわからないので顧客に迷惑のかかるおそれがあること等を理由に断わられた。全自運自体が営業を妨害している状態では会社としてはどうすることもできない、労働争議に名をかりて債務者会社その他の営業を妨害しないようにしてほしい、旧味泥営業所は速かに立退いてほしい」旨の内容証明郵便を出した(なお、右全自運からニッケル社に対して源平運送へ仕事を出さないよう依頼した事実についてはこれを認めるに足る疎明はない)。

(4) こうして、団体交渉も行われないまま推移するうち、分会員以外の従業員はすべて退職した。分会は、六月分以降の賃金の支給も受けられず、仕事もないためアルバイトをすることを考え、そのためにはストライキをして職場放棄を回避するほかないとの判断に立ち、併せて債務者会社と源平運送に対する抗議の趣旨も含めて指名ストライキに入ることを決め、七月二〇日、分会員一〇名中(後二名退職)債権者古荘、同奥井、同岸川外二名の五名は同月二一日から、債権者舟田、同伏見、同森の三名は同月二二日から、債権者柳田は有給休暇終了の翌日から、債権者小林は傷病が完治の後それぞれ指名ストに入る旨通告し、無期限ストに入った。

(5) 源平運送は、七月二八日朝、大三郎(当時債務者会社取締役)、高橋良輔、志方らが指揮して、味泥営業所の出入口を閉鎖して立入禁止の看板を立て、正午過ぎ同営業所の建物を取り壊した。その後、一部減車、廃車をし、残りの車両一六、七台は車庫移転の認可手続をしないまま、加古川市の日本製麻跡地に移したが(同土地については使用料を支払っていない。)、昭和五二年三月末頃、海上コンテナーヘッドおよび普通トラック合計一〇台を代金三五〇万円で債務者会社に、コンテナー運搬用シャーシ二四台を神戸陸運株式会社に代金七一五万円でそれぞれ売却し、これをもって所有車両を全部処分してしまい、営業を継続することが事実上不可能な状態となった。なお、高橋良輔は昭和五一年九月下旬取締役を辞任している。

(八) 源平運送の解散と債権者らの解雇

(1) 兵庫県地方労働委員会は、昭和五二年六月二三日、前記分会からの不当労働行為救済の申立に対し、債務者会社は源平運送とともに源平運送従業員に対して労働組合法上の使用者の地位にあったとして、右両社に対し、賃金相当額の一部支払と謝罪文郵送の救済命令を発した。

(2) これに対して、債務者会社と源平運送は同年七月六日付申立書をもって中央労働委員会に再審査の申立をしたが、源平運送は債権者らに対して、同日、「会社解散に伴い解雇する」旨の内容証明郵便を発送した(もっとも、未だ解散登記はなされていない)。

(九) ストライキの解除

一方、分会は、同月五日ストライキを解除し、翌六日付内容証明郵便をもって、新太郎に対し右解除の通告をするとともに就労場所の指定と賃金の支払等についての団体交渉を要求した。しかし、債務者会社、源平運送ともに右要求に応じず、以後分会と右両社の折衝はなく、現在に至っている。

以上の事実が疎明され(る。)《証拠判断省略》

2  そこで、右疎明事実に基づいて分会結成以後における債務者会社と源平運送の関係について検討してみると、①源平運送の株式は、昭和五一年五月中旬、債務者会社、三広および極東倉庫の三社から全部大村晋三に譲渡され、さらに同年六月二〇日頃同人から新太郎に全部譲渡されており、②源平運送の役員については、藤井利夫(取締役兼代表取締役)を除き、大村運送株式会社への商号変更(同年五月一九日)前の中本一族および中本グループの関係者は同年六月初め頃までに全員辞任し、その間の同年五月一五日大村晋三の取締役就任、同月一七日同人の代表取締役就任の各登記がなされ、同年六月二一日同人は代表取締役および取締役を、藤井は代表取締役をそれぞれ辞任し、代って新太郎が取締役兼代表取締役に復帰し(同月二六日登記)、次いで同月二五日高橋良輔が取締役に復帰したが、同人は同年九月再度これを辞任した。また、その間、取締役に岡十一(同年六月二日就任)、山下勇祐(同年五月二日就任、同年六月二日辞任)、監査役に内田恒子(同月二日就任)らが就く等の異動があった。しかし、①株主の変更については、大村晋三が中本一族と身分関係のあったことや中本グループ各社の役員または従業員であったことの疎明はないが、同人が株式を保有していたのは一か月余りの極く短期間であったこと、同人が株式を取得した前後の源平運送は、債務者会社及び源平運送の経営者らにおいて味泥営業所を閉鎖して従業員に廃業通知を発し、債務者会社をはじめとする中本グループ各社が源平運送との取引を停止し、そのため分会との間に紛争状態が生じ、分会は源平運送の譲渡は分会排除の目的から出たものとして抗議し、源平運送の債務者会社傘下からの離脱に強く反対していた状況にあったこと、大村晋三が源平運送の経営を引受けるについては新太郎において実務を担当することが前提となっていたこと、大村晋三は、分会との交渉に当り、当時役員を辞任していた新太郎や高橋良輔をしばしば右交渉の場に同伴して立会わせていたこと、そして、分会との交渉が難航するや簡単に源平運送の経営から手を引いたこと、新太郎は、前記認定のとおり分会結成前における源平運送の代表者で、債務者会社の経営者である中本一族の血縁者であること等の事実を総合考慮すれば、分会結成後における源平運送の株主の変動は同社に対する債務者会社の支配力になんら消長を来すものではないと認めるのが相当である。また、②役員の変更についても、藤井利雄は、取締役就任当時債務者会社の取締役であったものであり、債務者会社の意思により源平運送の取締役に就任したものと推認できること、新太郎および高橋良輔は債務者会社および中本一族とは前記のとおり緊密な関係にあるし、岡、山下、内田らの役員就任時期には源平運送は企業活動を停止している状態にあったことおよび前記のとおり同人ら就任後株主は新太郎ひとりとなったこと等を総合考慮すれば、これら役員の変動もまた、債務者会社の源平運送に対する支配力に影響を及ぼす程のものとはいい難い。

却って、前記認定の分会結成から源平運送の解散、債権者らの解雇までの経過に照らせば、債務者会社は、分会員の組合活動(前記のように行き過ぎとみられる点もあった)を嫌悪するとともに、分会結成による中本グループ各社に対する波及効果を恐れ、分会排除の意図のもとに、仲一、新太郎ら源平運送の経営担当者と相謀って前記認定の株式譲渡、役員の交替、取引の停止等の一連の行動に出、源平運送の解散、債権者らの解雇に至らしめたものと推認できるのであって(前記認定の本店、営業所等の移転についても同様であるが、それ自体は債務者会社の源平運送の支配力の有無について重要な意味を有するものではない。)、分会結成前と同様源平運送を現実的統一的に管理支配していたもので、分会結成後においても債務者会社と源平運送の社会的な単一体としての実質は失われていないものと解するのが相当である。

しかし、分会結成後においては源平運送の株式名義人は新太郎ひとりとなったので、源平運送に対する支配は全く間接的となり、かつ、財産の混同を認むべき資料もないから、やはり両社は経済的にみて単一体の実質を有しないものというほかない。

第三  そこで、以上の事実関係を前提として、債権者らと債務者会社との間の雇用関係の存否について検討する。

一  債権者らは、別紙債権者表記載の各入社欄記載の頃にそれぞれ源平運送と雇用契約を締結していたものである(債権者らが債務者会社と明示又は黙示の雇用契約を締結していたものとは認められないし、源平運送は債務者会社とは前記のように社会的にみて単一体の実質を有するものと認められるが、右関係から債務者会社が雇用契約上の当事者たる地位に立つものと解することはできない。)が、先に認定したように、源平運送は債権者らに対し、昭和五二年七月六日、会社を解散したこと及びこれに伴い債権者らを解雇する旨通知したもので、右解散は、前記のようにその時点までに債権者ら以外の従業員は全て退職しており、また所有車両は全て処分されるとともに、味泥営業所の建物は取り壊されていて源平運送はその営業を右通知時点までに完全に停止していることからみて、企業継続の可能性はなく、一応真正になされたことがうかがわれる。

二  そこで、まず、法人格否認の法理について考えてみるに、一応法形式上独立して存在する団体についても、①その法人格が全くの形がいにすぎない場合、または、②それが法律の適用を回避するために濫用されるが如き場合においては、法人格付与の本来の目的に反するものとして、特定の法律関係につき、その法人格を否認して妥当な救済を図ることが許されるものと解すべきである(最高裁判所昭和四四年二月二七日判決、民集二二巻二号一一頁参照)。そして、この法理は、本件のように親子会社の関係を含む雇用関係についても適用しうるものと解すべきであるが、その場合の適用要件としては、法人格の形がい化の場合においては、経済的に親会社が一個の単一体を構成していること、企業活動の面において親子会社の子会社に対する管理支配が現実的統一的で活動そのものが社会的にみて単一性を有することが必要であり、法人格の濫用の場合においては、親会社が子会社を支配し利用していること(支配の要件)、右親会社による子会社の支配、利用について親会社が違法または不当な目的を有していること(目的の要件)が必要であって、右濫用の場合の支配の要件は、別個に前記の目的の要件を必要とすることを考慮すると、形がい化の場合よりも緩かな支配従属の関係があれば足りると解すべきである。

三  これを本件についてみるに、

1  前記認定のとおり、債務者会社と源平運送は親子会社の関係にあり、債務者会社は源平運送の企業活動全般にわたって現実的統一的に管理支配をしているから、両社は前記のように社会的にみて単一の企業体を構成しているものと認められるけれども、両社が経済的に単一体を構成するものとまでは認められず、したがって源平運送が全くの形がいに過ぎない場合とは認め難いといわなければならない。

2  しかし、先に判断したように、債務者会社は源平運送と社会的に単一体と認められる程度の支配を同社に対して及ぼしているものであり、右の程度の支配従属の関係があれば、前記の濫用の場合の支配の要件は充足されているものと解するのが相当である。

そこで、前記の目的の要件について考えると、前記認定の、債権者らが分会を結成した後、源平運送が解散され、これを理由として債権者らが解雇されるに至るまでの経過、債務者会社と源平運送の支配従属関係および分会結成後の使用者側との折衝経過(ことに源平運送の役員でもない中本一族の者が右折衝に加わっていたこと)と分会結成以前に源平運送の営業継続が困難とみるべき事情があったことを疎明するに足りる資料のないこと(なお、昭和五〇年の末頃から日本製麻の一部工場閉鎖などによって営業成績が下降していたことは疎明されるが、これは債務者会社の取引上の協力や源平運送の企業規模の縮少その他の企業努力により容易に克服しえ、営業を廃止しなければならないほどのものではなかった)などの点を総合すると、債務者会社代表者ら中本一族は、債権者らが分会を結成して組合活動をしたことを嫌悪し、これが他の中本グループの子会社に波及するのをおそれ、右組合を壊滅する目的から、源平運送の代表者であった仲一や新太郎に指示したが少くとも同人らと相謀り、企業閉鎖にはじまる前記一連の経過を経て本件解散をなすとともに、これを理由として債権者らを解雇するに至ったものと一応推認できる。

ところで、会社の解散が偽装ではなく、真正になされたうえ、これにもとづき労働者が解雇された場合その動機にかかわらず右解散と解雇は有効とみる他ないのであるから、このように、債務者会社が源平運送の役員を指示し或いは同人らと相謀り、もともと営業継続が困難な事情もないのに、分会壊滅の目的で、前記分会結成以後において、営業所の閉鎖源平運送との取引の停止、車輛等の運送手段の売却処分等を経て、源平運送の企業継続を不能とする事態を招来したうえ、これを解散するに至らせ、これを理由として債権者らの解雇がなされ、これによって債権者らの源平運送に対する雇用契約上の被用者としての地位を失わしめる結果をもたらすことは、結局において債務者会社が不当労働行為意思にもとづいて源平運送の法形式上の独立性ないしは会社制度を利用したものというべく、このような場合にも法人格の濫用に該当するものというべきである。

したがって、源平運送に対して雇用契約上の地位を有していた債権者らに対する関係において源平運送の法人格を否認し、直接親会社たる債務者会社に雇用契約上の使用者としての責任を認めるのが相当である。

そうすると、この限度では源平運送の解散にもとづく解雇も本則に帰って不当労働行為(労働組合法七条一号、三号)に該当するものとして無効となり、債権者らと源平運送との間の雇用契約上の地位は、そのまま債務者会社との間で存続するものと解するのが相当である。

第四  そこで次に、賃金仮払請求について検討する。

一  債権者らは、前記のように別紙債権者表の各入社欄記載の頃から源平運送と雇用関係にあったものであり、その後前項記載のように債務者会社が右雇用契約上の地位にもとづく義務を負うべきものと解すべきところ、《証拠省略》によれば、債権者らは、それぞれ同表記載のとおり、昭和五一年二月分から四月分までの賃金の支払を受け、その平均賃金額は同表記載のとおりであること及び毎月の賃金支払日が二八日であったことが疎明される。

二  ところで、債務者会社は、債権者らは昭和五一年七月一三日から順次指名ストライキに入り、同月二〇日以後は全員就労しないため、その間本件賃金の支払義務がない旨主張しており、債権者らは、昭和五一年七月二〇日、源平運送に対し、債権者古荘、同奥井、同岸川ら分会員五名は同月二一日から、債権者舟田、同伏見、同森の三名は同月二二日から、債権者柳田は有給休暇終了の翌日から、債権者小林は傷病が完治した後、それぞれ指名ストに入る旨通告したうえ無期限ストに入ったことは前記のとおりである。

ところで、先に認定したように、源平運送は右スト通告後は営業を開始しておらず、ただ、証人高橋良輔及び債権者舟田本人の各供述によれば、右スト通告後に、右高橋が債権者らに運送の仕事があるとして就労を要求したことが認められるうえ、債権者らと源平運送との間に雇用契約が存在する以上、使用者である源平運送の債権者らに対する労務提供の請求権は消滅していないから、右契約の当事者である債権者らは、少くとも右要求に応じうる状態を維持しておく義務は免れないのであって、自らスト通告をして、一般的に雇用契約にもとづく労務提供を拒否している以上、債権者ら主張の事情が存在し、右ストが正当と認められるとしても、自ら債務不履行にもとづく損害賠償責任を免れることは格別、民法五三六条二項の適用により右期間中の賃金請求権を失わないものと解するのは相当ではない。なお、右理由により支払を受けられない賃金額は、ストの場合の賃金に関する特段の約定の存在ないしは債権者らの受領していた賃金中に勤務に服さない場合にも支給を要求しうる部分が存在することについて、特段の主張立証のない本件では、前記賃金額全額とみる他ない。

また、債権者らは、右期間中の賃金の支払を受けられなかったことにつき、不法行為にもとづき損害賠償請求権を有する旨主張するが、源平運送の右スト突入前の行為には、債権者ら指摘のように不当な点があるとしても、債権者らが賃金債権を取得しえない理由が前示のとおりである以上、源平運送の右行為により債権者らが賃金債権相当の損害を蒙ったものと解するのは相当でない。

三  そうすると、債権者らのうち、柳田及び小林を除く六名については、それぞれ前記のストに入った昭和五一年七月二一日ないし二二日から、債権者らが前記認定のように源平運送に対しストの解除通告をし就労要求した昭和五二年七月六日の前日まで賃金請求権を有しないものというべきであるが、右柳田及び小林については、《証拠省略》を綜合すると、右両名は、他の債権者らが前記の各ストに入った時点後間もなくしてストに入ったもので、その時期は少くとも昭和五一年八月末以前であったことが一応推認できるから、同年九月一日以降前記の昭和五二年七月五日まで、同様に賃金請求権を有しないものというべきである。

四  次に、同年七月六日、源平運送は債権者らに対し会社解散とこれに伴う解雇の通知を出し、債権者らの就労を拒絶する意思を明らかにしていることは前記のとおりであり、債権者らは前記のスト解除後は労務提供することが不能であったものというべきであるから、右時点以降は民法五三六条二項本文によりそれぞれ前記の平均賃金額の金員の支払を請求する権利があるものというべきである。

五  以上のとおりであって、債務者会社は、源平運送の雇用契約上の地位にもとづく義務を負うべきであるから、債権者らに対し、それぞれ賃金の仮払を請求している昭和五一年五月二一日以降本案判決確定に至るまで、前記のスト期間を除き前記の各平均賃金の支払義務があるものというべきである。

第五  そこで、仮処分の必要性について検討すると、《証拠省略》を綜合すると、債権者らはいずれも源平運送から支給される賃金だけで生計をたてている労働者であり、右従業員の地位を否定され右賃金の支払が受けられない場合、本案判決の確定を待っていては生活が困窮し、回復し難い損害を蒙るおそれがあることが推認できるから、本件仮処分の必要性があるものというべきである。

第六  以上のとおりであって、債権者らの債務者会社に対する本件申請のうち、雇用契約上の仮の地位を定める申請部分及び別紙賃金認容期間表記載の各期間につきそれぞれ各債権者について別紙債権者表の当該平均賃金額の仮払を求める部分は理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容し、その余の申請部分は理由がないからこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大石貢二 裁判官 竹中省吾 田中俊夫)

<以下省略>

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